アルトゥーロ・フェラリンの経歴は?ローマ-東京を100年前に飛行してフェラリン少佐のモデル!【世界ふしぎ発見】


出典:Twitter

こんにちは!年moです!

11月24日に放送される「世界ふしぎ発見!」
では、ジブリの「紅の豚」の主人公
ポルコ・ロッソの戦友である
フェラリン少佐のモデルとして
知られているアルトゥーロ・フェラリン
に関して放送するようです。

アルトゥーロ・フェラリン氏は
100年前にローマ東京間を史上初めて
飛行した人なのです。

そこで、アルトゥーロ・フェラリン氏は
どのような経歴の方なのか、また、
日本ではどのように歓迎されていたのか
について調べてみました。

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アルトゥーロ・フェラリンのwikiプロフィールと経歴

アルトゥーロ・フェラリン氏の
プロフィールは以下の通りです。

名前:アルトゥーロ・フェラリン

生年月日:1895年2月12日

没年月日:1941年7月18日

出身地:イタリア王国ヴェネト州ヴィチェンツァ県ティエーネ

トリノで学び、1916年夏にパイロット
としての訓練を受け、第一次世界大戦では
戦闘機のパイロットとして活躍しました。

戦後は、パリ近郊で曲芸飛行家として
活動したり、アムステルダムの
国際航空ショーに参加していました。

そして、1920年2月14日から3月31日にかけて、
グイド・マシエロ中尉(Guido Masiero)と
ともにアンサルドS.V.A.9機でローマ・東京間の
1万8000kmを史上初めて飛行しました。
(飛行時間109時間)

これによって一躍有名人になりました。
現在でもSNSで発信されるほど有名です。

その後は、アンサルド社のテストパイロット
として働きながら、1922年にはニース、
1923年にはスペイン・ポーランドで
曲芸飛行家としても活動しました。

さらにその後はローマ郊外の
モンテチェーリオからブラジルのナタールまで
7,186kmの無着陸長距離飛行記録を樹立し、
これにより、イタリア国内外で多くの賞を
獲得したのです。

1929年には「Voli per il mondo(世界への飛行)」
を出版しています。

ですが、1941年7月18日、ローマ郊外の
グイドーニアの飛行場において、
テスト飛行中に事故死してしまったのです。

飛行機野郎ともいわれ、ジブリの「紅の豚」の
主人公の戦友であるフェラリン少佐のモデル
としても知られています。

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史上初のローマ東京間飛行後、日本で大歓迎されていた!

アルトゥーロ・フェラリン氏が
ローマから東京まで飛行した
1920年当時、日本では無事に飛行を
達成したアルトゥーロ・フェラリン氏達を
大歓迎していたのだそうです。

当時のニッポン人はこの世界初の
偉業を成し遂げたフェラリンを
2カ月にわたってもてなし、
首相の原敬が叙勲し、天皇の下賜品たる
「サムライの象徴である刀」を与えた。

引用:https://gqjapan.jp/culture/column/20170609/raid_aereo_roma_tokio/page/2

最終目的地となったのは、
代々木練兵場で、集まったのは
20万人ともいわれています。

その大観衆に英雄として迎えられ、
「イタリア万歳!」という大歓声の中、
龍の形をした自動車に乗って
パレードをしたといわれています。

当時、日本でも一大イベントに
なっていたんですね!

「東京─ローマ帰還プロジェクト」とは?

実は、アルトゥーロ・フェラリン氏が
ローマ東京間を飛行した1920年から
100年後となる2020年には、
「東京─ローマ帰還プロジェクト」が
計画されています。

つまり、フェラリンと同型機で
東京からローマに戻るという計画なのです。

おもしろいですよね!

2020年は東京オリンピックの年でも
ありますが、これからは
「東京─ローマ帰還プロジェクト」にも
注目ですね!

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